プロフィール

おいたち


私は母の実家があった京都・北白川のバプテスト病院で長女として生まれました。

口が達者で親のいいつけを守らずよく納屋や押し入れに閉じ込められていましたが、まったく懲りず「雑草のような子や」といわれていました。幼稚園の頃ひとりで賀茂川を向こう岸まで歩いて渡った武勇伝を持つおてんばだったようです。 

世界遺産の下鴨神社は庭のような場所。小学校の頃は、夏休みに境内でラジオ体操してたのよ♡

祖母と両親、妹と、結婚するまで下鴨で暮らしていましたが、実家はすでにありません。父の転勤で数年東京(西東京市)にも住んでいました。

マクリン幼稚園、下鴨小学校から下鴨中学、平安女学院高等学校、同志社女子大学短期大学部(日文)へ進み同志社大ESSに所属。富士銀行(現:みずほ銀行)河原町支店に新卒入社し、約2年後22歳で社内結婚し退職しました。

バブル入社組です。親には「良い?会社で良い?人と早く結婚するのがオンナの幸せ」とすり込まれその通りに就職、結婚。親を喜ばせ自分もこれで人生安泰!と思っていましたがここからがジェットコースター人生の始まりでした。

母となって


23歳で長男を出産してから3年ほどは社宅住まいでした。高槻、茨木から転勤で東京・代々木上原へ。その後さいたま・大宮に自宅を構えました。

クルマで毎日往復3時間かけて自然豊かなさくら・さくらんぼ保育の系列園に御世話になったおかげで、息子はすこやかに成長しました。 「外では働かないで欲しい」と言われていた私が勤めだしたのは、息子をこの保育園に入れるためでした。
しかしノルマのない損保営業の仕事は、人好きの私にはあっていたようで、後のキャリアの礎となりました。

書くことも続けたいと考え雑誌や書籍を中心としたフリーランスの仕事はその前から始めていました。
本格的に正社員として働き始めたのは息子の中学合格後。私立入学に反対し「学費は払わない」という元夫に対抗し、ならば!と息子の学費を稼ぐために働き出したのです。

おかげで私は強くなり、仕事のスキルとキャリア、自由になるお金を手に入れることができました。だからこそ、 後に躊躇せず離婚を決断出来たのかもしれません。

仕事のこと (~around40)




ちゃんと働く!と決めてからは「正社員&サラリーUP」を課して数年ごとに転職し、就活中にはフリーランス生活に戻ることがルーティンになっていました。もちろんこれは今も昔も「夫」という存在のおかげで、生活の基盤があったからできたことで感謝しています。

フリーランスとしてはライフスタイル系の雑誌や書籍、サイトを中心にとした編集・執筆のほか、主に「食のプロ」としてテレビやラジオほかメディア出演、セミナー登壇、レシピ開発、その他企画、WEBマーティング、富裕層向け医療・介護施設の広報など多種多様な仕事に関わることができました。

そして数年前にはプロフィールにも記載しているレシピサイトの編集執筆と共に連載を持ち、レシピ作りも行っています。

どんなことが後につながるかわからない。レスポンスは早く、ご縁は大切に、一度受けた仕事には責任を持ち、タダの仕事は請けない、がフリーランスのオキテかと。

とはいえ、フリーランスよりもやっぱりサラリーマンが好きだからこその転職だったのよねー

結婚後初めてのフルタイム勤務は園芸業界誌の編集記者から。出張で全国を飛び回るようになり、旅が大好きに。次に 経営を学んでみたくてビジネスホテルの立ち上げ支配人に。しかしちょうど会社がとある問題でバッシングにあい、半年ほど家にほとんど帰れない状況に。

大変なときこそ燃えるタチなのでそれなりに状況を楽しんでいたのですが、家庭崩壊の危機に遭い、面白い仕事でしたがさすがにやめざるを得ませんでした。

そして転職した医療系ITベンチャーでは料理雑誌やサイト編集執筆を手がけました。締切前には朝まで泊まり込むこともありましたが、自由で風通しの良い社風、管理栄養士さんとの仕事で得意分野をのばすことが出来、たくさんの経験をさせてもらえました。

輸入調理器具の小さな輸入商社では初めて部下を持ち、海外とのやりとりからレシピ開発、Eコマース、QVC販売、顧客サポート、販促に倉庫作業とすべての関連業務を手がけました。しかし別部門の赤字拡大のため倒産。
倒産ってある日突然なんですね。初めての経験で怖くなり、安定を求めて金融に戻ることを決めたのでした。

仕事のこと (around50)


そして大手生保の総合職に転職しました。様々な方に助けられて成績を上げることができ、今までで一番長く勤めることに。保険の仕事を通し人生や家族のあり方を考え直し、健康や備えることの大切さを学び、親友と言える同期もできました。

ホントはココて゛サラリーマン生活に終止符を打つ予定だったんです!

不規則で帰宅の遅い保険の仕事は「再婚」というハードルを越えることができず退職。でも、結局会社という組織が好きなのでしょう。定時で帰れる仕事を見つけ、今度はなんとリサイクル業界に飛び込んでしまいました。

レストランや旅館経営も手がける老舗産廃企業の社長室広報として入り、まずは企業サイトを完全リニューアル。次に営業ができるというので営業事務を統括する業務部のまとめ役に。全社的な営業支援ツール導入のPMもつとめました。

責任ある立場になると、自分だけ定時に帰るというわけにはいきません。家庭への影響のない範囲で働くことができなくなってきて、大切なのものは何かを考え直す日々が続きました。

そして、家庭をとって退職。エコと廃棄、リサイクルについての真実と現場を知り、得がたい体験をし、今までで一番多くの部下を持って新しいキャリアを積むことができました。それから2年たった今・・・あっという間です!

第二の人生


プライベートでは20年目の結婚記念日に離婚しました。しかし、大学生だった息子と都内で2人暮らしをはじめたときほど自由で楽しい日々はありませんでした。

それから5年たって再婚し、社宅に暮らし始めて今年でちょうど5年。息子との暮らしとはまた違う、安定感のある幸せな日々を過ごしています。5年後には京都に帰る計画もありますが、積年の「丸の内OLになる」夢も捨ててはいません。

え?料理研究家になるんじゃなかったの? とつっこまれそうですが

 はい、いや、一応もうそう名乗ってお仕事もしてます。でも、私は欲張りな女。認知症予防には「デュアルタスク(ふたつのコトを同時に行う)」が有効だというのですからやらない手はありません。最後の最後にひと花、ふた花咲かせられるか・・さてどうなることやら?


濃くて激しいジェットコースター人生。生き急ぐように、たくさんのことをこなしてきました。
決断は常に自分ひとり。今振り返っても、反省はあれどなにひとつ後悔はありません。よかったことも悪かったことも、すべて今の私の糧となって生きています。でも、きっと誰もが同じはず。新しいことを始めれば、必ず何か得るものがあるのですから!